懸賞生活

電波少年的懸賞生活

『進ぬ!電波少年』への出演で一躍有名になったが、この番組でのイメージが強すぎたこともあり、お笑い芸人としては売れなかった。『電波少年』への出演後は、出身地である福島で冠番組を持ち、ローカルタレントとして活動。一方で、もともとの志望だった喜劇俳優としての活動を本格化させ、2002年に劇団「なす我儘(がまま)」を立ち上げ、座長をつとめる。以後は舞台を中心に活動。2005年の『電車男』出演をきっかけに、テレビドラマ等で俳優としての出演も増えている。

「懸賞生活」で脚光を浴びたことで、自分を見失いそうになった時期もあったというなすび。「でもあの番組で、必死に頑張る自分を見て、元気になってくれた人もいる。福島での活動を通して、そう思えるようになりました」と話した彼は、「もう一度やってみようと思うんです。今度はテレビの力を借りず、自分の力で」と真剣なまなざしで語った。

「進ぬ!電波少年」のワンコーナーで1998年1月25日~1999年4月18日まで放送された長期企画。お笑い芸人なすびが「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し挑んだ。日本での目標額は100万円、韓国での目標額は日本までの航空チケット片道分。

『進め!電波少年』⇒『進ぬ!電波少年』リニューアルの際に持ち上がった企画土屋敏男プロデューサーは若手芸人を集め、くじを引かせる。その中で「当たり」を引いたのが無名若手芸人「なすび」であった。なすびは目的も知らされずアイマスク・ヘッドホンを着用させられ移動。ワンルームの部屋へ連れて行かれ、衣服を全て没収される。そして「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに懸賞雑誌とハガキだけを与えられ、100万円分当選するまで懸賞だけで生活する、という企画内容を知らされ愕然とするが、あまり深く考えず承諾し、懸賞生活が始まった。途中米が尽き、ドッグフードを食べて凌ぐなど相当辛い時期もあった。約1年後、目標額の100万円を達成。挑戦中にゴールしたら何をしたいかという質問に「韓国で焼肉を食べたい」と発言していたことからご褒美として連れて行かれる。

一か月辺りに約6000通(一日辺り約200通)もの葉書を書いており、これだけで月30万円、むろん他にもアパートの賃貸料や光熱費もかかっているが、これらの費用は日本テレビ側で全額負担していた。前記の土屋は「何が適正かわからなかった」、「一日辺り葉書を50枚程度書いてあとは雑誌やテレビを見てゴロゴロしているだけだと思っていたらとんでもなかった」と話している。

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